マルス建設スタッフのあんなことやこんなこと日々

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スタッフブログ

2026/06/24

よしくんストーリー

 

なぜ、私が【信じる】を使命としているのか、

そのわけを聞いていただけますか。

 

 

はじめに

「この選択で、本当にいいのか…」

 

そう思ったまま、決めきれないことはありませんか。

 

周りの意見を聞けば聞くほど、分からなくなる。
自分で決めたはずなのに、不安が残る。

本当は、誰かに正解を教えてほしいと思っている。

 

でも、同時に、誰かに決められるのも嫌だ。

 

——自分で選びたい。
——でも、自信がない。

——動くことができなくなる。

 

そんな感覚を抱えたまま、
人は、生きているのかもしれません。

 

これは、

そんな状態だった一人の人間が、

ある「使命」に気づき、新しい「人生」を歩む物語です。

 

そして、

それは同時に、
一つの会社が、「四代」にわたり、

あることを“信じて”繋いできた物語でもあります。

 

第1章:築く人、守る人 - 祖父母の物語

私の会社のはじまりは、祖父母でした。スコップ一本と、トラック一台。そこから始まりました。

 

祖父は、木が好きな人でした。木の目を見て、その良し悪しが分かる。その目利きは、周りからも一目置かれていたそうです。

 

祖父は、情に厚く、社員からも、親戚中からも、近隣の人たちからも、絶対的に信頼されていたと、母からよく聞かされました。

 

祖母は、倹約家で、今のマルスがあるのは祖母のおかげだと、大工さんからよく聞かされました。

 

祖父母の人望で人が集まり、仕事が増えていき、今の会社の形になっていきました。

 

一方、家の中での祖父は、気が短くて、厳しいところがありました。

 

私は、祖父から納得できないことを言われた時、思わず言い返してしまいました。

 

すると、祖父に、その場で強く叱られました。

その後は、何も言えなくなります。

ただ、黙るしかありません。

 

そんな私を、祖母は、よくかばってくれました。

 

父も母も、祖父から継いだ会社の仕事で、家にいないことが多かったのです。

祖父母が、家にいて、親のような存在でもありました。

 

私は、祖父母からよく言われました。

 

「おまんは、後継ぎなんだから、まっとがんばれや」

 

 

第2章:寄り添う人 - 父の物語

父は、仕事で、夜はほとんど家にいませんでした。

 

毎日、お客さんと飲み歩いて、仕事を受注してきました。

人付き合いをとても大切にしていたそうです。

 

その代わり、平日は、晩御飯を作っても一度も家で食べたことがない、

と母が言っていました。

 

病気を抱えていながら、家にもいないし、何も言わない父のことを、

正直、尊敬していませんでした。

 

そういうわけで、父と過ごした記憶は、あまりありません。

それでも、いくつか覚えている場面があります。

 

ある休みの日に、家族四人で、縁側に座っていました。

その時、何を話していたのか覚えていません。

でも、ふと思ったのです。

 

「家族って、いいな。幸せだな」

 

翌朝、父が出かける前に、「がんばっとるな」と声をかけてくれました。

私は、何も返事をしませんでした。見向きもしませんでした。

 

その日の夜、父は、心筋梗塞で亡くなりました。46歳でした。

 

私には、何が起きたのか、よくわかりませんでした。

 

母は、「なんで死んじゃったの」とふとんの中で泣き崩れていました。

祖父は、「これからだという時に、なんで亡くなったんだ」

と独り言のように言っていました。

 

自宅で行ったお葬式には、多くの人が来ました。生花が180個。

隣の家まで並びました。それを見て、「お父さんって、すごいんだ」

と、初めて、父の偉大さを知りました。

 

隣の家の大工さんが喪主の挨拶を、私の代わりにしてくれました。

 

「善博くんが一人前になるまでは、

私達で一緒に支えていきますんで」

 

大工さんの言葉を聞いた瞬間、自分の人生が決まったと思いました。

 

 

その後、父のことを知るお客さんから、私は、よく声をかけられました。

「大人しくて、ニコニコして、お父さんにすごい似てるね」

 

私は、父のことをよくわかっていなかったのかもしれません。

そして、父が亡くなった日の朝、声をかけてくれたのに、

何も反応しなかったことを、ずっと後悔しています。

 

第3章:任せる人 - 母の物語

父が亡くなった後、母が社長になりました。

 

突然のことでした。会社のことも、家のことも、

全部一人でやることになりました。

 

社長の仕事、営業の仕事もこなし、家に帰れば、

三人の子どもの母親としての役割もありました。

どれだけ忙しくても、毎日、弁当を作ってくれました。

 

ただ、当時、私は、そのことを当たり前のこととして見ていました。

 

 

小学生の時、ある朝、私は、寝坊してしまいました。

 

祖父は「歩いて行け」と言うので、仕方なく歩いて行きました。

 

私の後ろを、母の車がゆっくりついてきていました。

追い越すこともなく、声をかけることもなく、

ただ、同じ距離でついてきていました。

 

なぜ乗せてくれないのか、という気持ちはありつつ、学校まで歩いて行きました。

 

 

大学は、県外に行きたいと思っていました。

家を離れ自由になりたいと思っていたからです。

家にいると、縛られているという感覚が強かったからです。

 

ところが、唯一合格したのが、家から通える、父と同じ大学の建築学科。

これで、「継がないといけない」という思いが強くなりました。

 

また、建築や設計の勉強をすればするほど、向いていないと感じました。

 

就職の時、大学の先生が、大工の会社に推薦してくれました。

私はこのままレールに乗ることがいやで、3日間、部屋に引きこもりました。

 

「自分が生きたいように生きよう」と考え、先生の推薦の会社を断り、

留年することにしました。

 

そのことを母に言うと、怒られると思っていたら、

「どんな道でもいいよ」と母は言ってくれたのです。

 

私が「俺、この会社継ぎたくない」と言うと、

祖父だけは悲しそうな顔で「何をとろくさいことを言っとるんだ」

と怒られました。

それでも、就職先が決まった際は、「おまんが決めた道でがんばれや」

と、祖父は言ってくれました。

 

就職した会社は、ベンチャー企業で、みんな生き生きして、

ワクワクした気持ちでした。

 

いざ入ってみると、「契約が取れるまで帰ってくるな!」

という飛び込み営業の仕事だったのです。

始発で会社に行き、終電で帰り、上司には怒鳴られる毎日、心身共に、ボロボロになりました。

 

結局、自分で選んだ会社を、1ケ月で退職してしまいました。

 

これからどうしたらいいかわからないまま、一人暮らしをしていました。

 

そんな時、祖父が声をかけてくれました。

 

「マルスで、1からがんばればいいじゃないか」

 

実家に戻る引っ越しも、祖父は手伝ってくれました。

母の会社に入ってからも、祖父は、あたたかく迎えてくれました。

 

 

第4章:迷う人-私の物語

会社に入ってわかったことは、売上の多くは、母がつくっていることでした。

営業経験があるわけでもない母が、設計もして、営業もして、会社を回していました。

 

さらにわかったことは、多くの男性社員は、母の言うことを聞かないのです。母が注意しても、「社長だって、できてないじゃん」という口調で反論するのです。

 

そのうち、母が頼りにしていた一級建築士の営業社員とベテランの現場監督がぶつかるようになったのです。母が何を言っても、言うことをきかなくなりました。

 

はたから見て、「大変だな」と私は感じていましたが、どこか他人事のように見ていました。

 

また、私は営業をしても、ほとんど受注できませんでした。そもそも、積極的にお客さんのところを訪問していたわけでもありません。

 

 

一方で、私は、外部のセミナーに通って、営業のやり方を学んでいました。

 

セミナーで学んだことを、「こういう風にやったらいい」と母に提案しました。

母は、否定もせず、「まず、自分でやってみたら?」と言いました。

 

ところが、いざ自分がやろうと思うと、「自分には無理だ」と思って行動はしませんでした。

 

あるときから、昔からいる社員に、外で学んだことを提案しました。

「今までやってきたことは、今後はよくないから変えていきたい」と。

 

そのベテラン社員は、「今までやってきて何も問題が起きていないから、そんなことは受け入れられない」と強く言い返しました。

 

私は自分が正しいと思ったので、その人に言い続けました。

私が何を言っても、完全に否定されました。

その社員とぶつかることが、段々エスカレートしていきました。

会社の雰囲気も悪くなっていきました。

 

ある時、母から言われました。

 

「こういう時は、あなたがどんなに正しくても、折れなあかん」

 

私は、母の言葉に納得できませんでした。

ただ、誰も私の味方になる人もいなかったのです。

 

 

第5章:「信じる」人 - ひとつにつながる家族

2017年に、私は結婚しました。

妻は、会社の仕事も手伝ってくれるようになりました。

 

妻が会社に来た後、家に帰ってきて、こう言いました。

 

「会社の会議、お通夜みたいだね」

 

私は、その言葉を聞いて、何も言い返せませんでした。

会議で、母が「みなさん、どう思いますか?」と聞いても、

みんな下を向いて、シーンとしています。

 

社内はまとまりがなくなり、母も「私、もう営業ムリ」

とマイナスの発言ばかり言うようになっていました。

 

このままではいけない。

そう思った私は、母に断りを入れて、社員の前で宣言しました。

 

「今年の7月から社長になります」

 

2020年1月のことでした。

 

社長になる準備ができていたわけではありません。

自信があったわけでもありません。でも、このままではいけないと思いました。

 

その年の7月から、宣言通り社長になりました。

会社の行動指針をつくったり、会議のやり方を変えたり、いろいろ手を打とうとしていました。

 

でも、思うようにはいきませんでした。

 

会社を良くしたい。

社員に変わってほしい。

お客さんにもっと喜んでもらいたい。

 

そう思えば思うほど、どこかで力が入っていきました。

自分では、会社のためにがんばっているつもりでした。

 

そんな状況でも、妻は、いつも私の近くで支えてくれていました。

会社のことも手伝ってくれました。お客様との打ち合わせにも、一緒に出てくれました。どんな時も、妻だけは味方でいてくれました。

 

そこで、私は、「家族」のゴールをつくりました。

 

「心穏やかに、お互いに思いやれる関係でいる」

 

笑顔でいること。
自分が心穏やかでいること。
相手をしあわせにすること。

 

そんな関係をつくりたいと思っていました。

 

ある朝、私は、自分のことで妻を不機嫌にさせてしまいました。

そこから、口喧嘩になりました。

 

その後、自分のせいで妻を不機嫌にさせたにもかかわらず、

「ごめんね」の一言も出ませんでした。

そのまま、気まずい空気だけが残りました。

 

その日の午後、妻が、お墓参りをして、仏壇とお墓の花を替えてくれていたことを知りました。妻がインスタに投稿していたのを見たのです。

 

その投稿を見た時、初めて気づきました。

 

妻は、家のことをしてくれていた。

仏壇のことも、お墓のことも、ちゃんと大切にしてくれていた。

私の見えていないところで、家族のことを考えて動いてくれていた。

 

それなのに、私は朝、妻と口喧嘩をしてしまった。

 

「心穏やかに、お互いに思いやれる関係でいる」

 

「家族」のゴールを、そう決めていたはずなのに、私は自分の言い分を守っていました。

 

妻を不機嫌にさせてしまったのに、すぐに謝ることができなかったのです。

「ごめんね」と言うより先に、自分の正しさを守ろうとしていたのです。

 

そのことに気づいた瞬間、私は恥ずかしくなりました。

 

本当に大切にしたかったのは、自分の言い分を通すことではありませんでした。

妻と「心穏やかに、お互いを思いやれる関係でいる」ことでした。

 

そのことに気づいた時、ようやく言葉が出ました。

私は、すぐにLINEを送りました。

「今朝は怒らせてしまってごめんね」

 

そして、妻がしてくれたことにも感謝を伝えました。

「お墓参りと花の交換ありがとう」

 

すると、妻から返事が来ました。

「私の方こそごめんね」

 

ただ、それですぐに完全に元通りになったわけではありません。

私の中には、早く仲直りしたい気持ちがありました。

でも、こちらが仲直りしたいからといって、無理に距離を縮めるのは違う。

そう思って、必要な言葉だけを伝えながら、待つことにしました。

 

無理に踏み込まない。相手を変えようとしない。信じて、待つ。

 

すると、少しずつ妻の様子が変わっていきました。作り置きだった食事を、私が帰る時間に合わせて温めてくれる。挨拶をしてくれる。少しずつ、空気がやわらかくなっていきました。

 

そして、ある日、妻の方から声をかけくれました。

 

「私の話、聞いてほしいんだけど」

「私が今考えていることを聞いてほしいんだけど」

 

そう言って、妻は、これからやっていきたい未来の構想を話してくれました。私は、その一言がとてもうれしかったです。

 

そして、その時、私は思いました。

 

信じるとは、相手を思い通りに動かすことではない。

相手が安心して話せるようになるまで、待つこと。

相手の中にある思いが出てくることを、信じること。

 

それが、私にとっての「信じる」なのだと思いました。

 

このことに気づいてから、お客さんとの関係も変わっていきました。

 

営業には、もともと妻と一緒に出るようにしていました。

なぜかというと、妻は、お客さんが話しやすい雰囲気をつくる天才だったからです。

 

お客さんが気になっていること。

将来、どうしたいのか。

本当は、何を不安に思っているのか。

 

そういうことを、妻は、自然と引き出してくれるのです。

 

その雰囲気に影響されて、私も少しずつ変わっていきました。

社長として、正しい答えを出さなければいけない。

自分が引っ張らなければいけない。

そんな鎧を、少しずつ脱いでいけるようになったのです。

 

すると、私も、自然体でお客さんと接することができるようになりました。

 

ある時から、お客さんにこう言われることが増えました。

 

「やっぱり、二人が来ると安心するよね」

「決め手は、善博さんと奥さんのお二人ですね」

「お二人で来てくれると、われわれも和むし、いいと思う」

 

そのうちに、自然と受注も増えていきました。

 

家をつくる、という仕事なのに、選ばれている理由は、家そのものだけではありませんでした。

 

「誰に任せるか」ということだったのです。

「信じていい」と思ってもらえることだったのです。

 

振り返ってみると、私はずっと、自分を守ろうとしていました。

 

祖父に口ごたえをしたことも、

母に対して、言いたいことだけを言っていたことも、

会社を良くしようとして、力が入りすぎていたことも、

妻に対して、素直に謝れなかったことも、

 

すべて、自分を守るためだったのかもしれません。

 

自分を信じていなかったから。

相手を、信じられていなかったから。

 

でも、妻との関係の中で、私は学びました。

 

人は、コントロールされると、離れていく。

でも、信じられると、近づいてくる。

 

祖父母が、多くの人に慕われていた理由。

父が、外で信頼されていた理由。

母が、一人で会社を支えてこれた理由。

 

そして、妻と一緒にいると、お客さんが安心して話してくれる理由。

 

それが、「信じる」ということで、ひとつにつながりました。

 

祖父母から始まったこの会社は、

父へ、母へ、そして、私へとつながり、

さらに、妻へ、社員へ、お客さんへとつながっていきました。

 

バラバラだったものが、ひとつに、つながっていく。

 

それが、今、私が受け継いでいるものです。

 

「信じる」を使命として掲げて、関わる人が、安心してつながれる関係を、これからもつくり続けていきます。

 

鈴木 善博

 

 

 

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